東南アジア最大のスラムに潜入?!

8月23日の早朝フィリピン、マニラの空港に着いたおれは、列車に乗りマニラの中心部へと向かっていた。

街の中心部に着くと、人が大勢いる建物があった。キリスト教会のミサだった。

この時初めてフィリピンがキリスト教だと知った。せっかくなので、ミサに参加させてもらうことに。そこで話しかけてきた、男性と仲良くなり、彼が街を連れて回ってくれるとのことに。

歩き始めすぐに異変に気付いた。彼からのボディタッチが激しすぎたのだ。ずっと手を繋いで歩こうとしてくる。彼はゲイだった。

フィリピンはゲイが結構多いと聞いていたが、フィリピンでの初めての出会いがゲイになるとは思っていなかった。

彼とは手は繋がず、おれは「あ、予定あったんだ、忘れてた」と丸見えの嘘をつき、彼から離れることができた。

そんな事もあり、疲れたおれは早いうちに今日泊まる宿を探すことに。

毎回同様、安宿に泊まった。

朝、起きてからフィリピンの東南アジア最大のスラムと呼ばれている、トンド地区に行って現状を見てみたいと思っていたので訪れることにした。

スラムと呼ばれている地区に入り始めに思ったことはゴミの多さだった。

ゴミが多すぎて、道路が汚れ、異臭が漂っていた。

ゴミで溢れた道路上を頑張って進み続けると、現地の人も近づかないスラムの入り口に着いた。

そこに入ろうとすると、現地の人から「そっちには行っちゃだめ」と言われた。

理由を聞くと、とても治安が悪く、荷物を盗まれるからだと言う。

彼の指示に従って、その場所にはいかないことにした。

その後もスラムの街を歩いて回った。

町中で多くの人と話をした。

すると家でご飯食べて行きなよと、家に入れてくれる人がいたり、今からバスケするんだけど一緒にしない?と誘ってくれる人もいた。

その人達からここでの暮らしのことを聞かせてもらった。

どのようにお金を稼いでいるのか聞くと、ゴミを分別してお金を稼いでいる人が多いと言っていた。

一日給料は、日本円で約100~400円。

ここではゴミが多いから、その分市街地よりも仕事があると言っていた。

ゴミで溢れた道路が綺麗になると逆に困る人も居るんだなと思った。

そんな彼ら、彼女らが共通して「ゴミが多くて汚い場所だけど、良い場所だよ」と言っていた。

確かに、出会った人の多くは優しかった。

その後、スラム街にあると言われている、ゴミ山のスモーキーマウンテンに向かった。

途中道が分からなくなったので、街の人にスモーキーマウンテンまでの道を聞くことに。

するのスモーキーマウンテンの近くに住んでいる人と出会った。彼女の名前はフェレンゴさん。

スモーキマウンテンまで案内してくれることになった。

10分ほど歩くと、土が被せられた、ゴミ山に着いた。

着いてすぐにおれが、上に登ってみたいと言うと、彼女がスモーキーマウンテンの上まで連れて行ってくれることに。

かつてはゴミが多すぎて、ゴミが太陽の熱で自然発火し、よく火災が起きていたらしい。

なのでゴミ山に土を被せて火災を防いでいると話してくれた。

今ではそのゴミ山の上に草も生えていた。

ゴミ山の上に着くと、そこには何軒かの家が建っていた。子供達も沢山いた。

フェレンゴさんにスモーキーマウンテンで生活している人と話をしてもらい、家の中を見せてもらえることになった。

自分で建てたと言っていた、家はすごく小さく、キッチンは約1畳ほど、寝室は約1畳半。どの場所も高さ約100cm程しかなく、立つことは不可能だった。

この小さな家に家族5人が暮らしていると言っていた。

家のすぐ横には畑があると言った。ゴミ山の上に土を被せた上に畑なんてあるの?と疑問に思いながら彼についていくと、そこには本当に畑があった。

カモーテというほうれん草に似たものを育てていた。

一通り家を見せてもらい、お礼を言い、次の場所に移動時、彼から育てているカモーテを頂き、「次来る時は、うちに泊まりなよ」と言ってくれた。

ゴミ山の上では、多くの人と会った。どの人もとても優しかった。

スモーキーマウンテンを後にし、マニラの市街地に帰ろうと思った時、フェレンゴさんから「私の住んでいる場所も見て帰ると良いよ」と言ってもらい、フェレンゴさんの家にもお邪魔することに。

スモーキーマウンテンからは然程遠くなく、すぐにフェレンゴさんの家に着いた。

彼女の家は、団地の4階にあった。

話によるとこのような団地がここには数多くあり、多くの人が暮らしていると言う。

彼女の家に入ると、彼女の娘2人と、息子1人、夫が1人いた。挨拶をし、ここでの生活の話を聞かせてもらった。

彼女から聞いた話は日本では考えられないような話だった。

本当は息子がもう1人いたと言う話と夫についての話だった。

彼女には数年前まで息子がもう1人いたが、食中毒で死んでしまったと言う。

病院に着いた時には、息子はもう死んでしまっていたと。

衛星状況が良くなく食中毒で亡くなってしまったと言っていた。

着いた時から気づいたいたが、彼女の夫がずっと座ったきりだった。

話を聞くと、腰を痛めてしまい、ずっと座ったきりになってしまったと言う。

ずっと座ったりになってしまい、足に血がうまく流れなくなり、足が腐ってきていて、もうすぐ歩けなくなってしまうと言っていた。

その話をしている時の彼女はとても悲しそうな顔をしていた。

どちらの話もお金があれば解決ができるような話だった。

彼女は続けて言った、「お金はなくて、悲しいこともあるけど幸せだよ」と。

彼女が実際そう言うから本当なのだろう。

だがおれには、その時、彼女の幸せがどこにあるのか知ることはできなかった。

彼女と話をしているとあっという間に時間が過ぎ、日も暮れていたので宿に帰ることにした。

帰る際にフェレンゴさんが、「家に泊まりたいなら、泊まってもいいよ」と言ってくれた。

彼女が幸せがどこにあるのか、どんな生活をしているのかもっと知りたかったので、また後日泊めてもらうことにした。

団地から出る時、団地の4階に住んでいる子供達が笑顔で「さようなら」言ってくれた。

スラムを訪れてみて、今まで想像していたスラムとは全く違い、人が優しくて、暖かい人が多かった。

今まで、おれはお金の余裕がないと人に優しくすることは難しいと思っていた。でもここに住んでいる人達はそうではなかった。

また来させてもらうことになったので次はもっと、深く知ろう。そう決めた。

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