ロヒンギャ難民キャンプを訪ね、聞いた衝撃的な話

ロヒンギャ難民キャンプに行ってきました。

ロヒンギャ難民キャンプには売店やモスク、学校のようなもの、道路も整備されていて村のようでした。

キャンプ内とキャンプ外の違いがわからなさすぎて、どこからどこまでがキャンプかもわからなくもなる程でした。

ロヒンギャ難民キャンプには100万人近いロヒンギャ族がいて、キャンプも数多く存在していた。

様々な支援団体からの支援を受けて、生活をしていた。だがやはりここで生活するのは苦しいと言っていた。

ロヒンギャ難民キャンプに居た女性に話を聞いた。

彼女は2017年にロヒンギャ難民キャンプ来た女性だった。

彼女はミャンマーに住んでいたが2017年に突然ミャンマー政府や軍、仏教徒達がロヒンギャ族が住んでいる村を襲撃し、村を焼き払い、ロヒンギャ族を何人も銃撃して殺された。自分たちの家も焼き払われ、何もなくなり、ここにいてはまた襲撃され殺させるという状況になってしまった彼女や彼女の家族、また迫害されたロヒンギャ族は、バングラデシュにロヒンギャ難民キャンプがあると知っていたので、そこを目指して歩くことに。道中食べ物も泊まる場所もなかったというが、優しいミャンマーの人達の村の家に泊まらせてもらったり、ご飯を食べさせてもらい、なんとか生き延びることができ、バングラデシュにある難民キャンプにたどり着いたという。

難民キャンプでは衣食住を提供してもらえ、今の状況に満足しているようだった。

もしミャンマーで国籍をもらえて、家があるとミャンマーに帰りたいかという質問をした。

すると彼女は絶対に帰りたくない。今の状況がずっと続いてくれればいいと言っていた。彼女は周りの人達を目の前で殺したミャンマーが許せないようだった。

そう話してくれる彼女はやはりすごくミャンマーに対して恨みがあるようだった。

言語が違っていて通訳を通してでしか話せなかったが、彼女の話し方や、ジェッシャーでどれほどのことを経験したか読み取れた。彼女がミャンマー軍が銃を撃っているジェッシャーや暴力を振るっているジェッシャーをしていた。

彼女はすごく辛そうだった。表情を見てわかった。今でも鮮明に覚えているのだろう。

この経験をした人を目の前にして、彼女の話を聞いて、やっぱりショックだった。虐殺を受けた人達が一番ショックだったと思う。でもこんなことが日本から少し出ると行われている。しかも経った2年前に。こんな世界があると考えるとショックだった。

ネットやテレビでロヒンギャ難民についても何度か見たことがあった。だが、ロヒンギャ族がどんなに辛い思いをしたのか、どう感じているのかをあまり知ることはできなく、本当にそんなことが行われているのかという実感も、実際にロヒンギャ難民キャンプに来て話を聞くまではあまりなかった。

だが、今回話してくれた内容、話してくれた彼女の表情、身振りや手振りを見て、彼女までとは到底言い難いが、彼女の辛さ、どう感じているかを知れた。

この話を知り、実感することができたが、おれ一人で何か彼女ら彼らにできることなんて本当にあるのだろうか。

日本から少し離れたところではこんなにも苦しい思いをしている人がいる。

虐殺が起こった過去や記憶は消えることはないだろう。唯一、おれができることと言えば、同じようなことを繰り返さない為の行動だろう。それは世界をより良く、平和な環境にすることだと思う。

1992年にロヒンギャ難民キャップに来た男性の話も聞いた。

彼はミャンマーでは国籍や住む権利を与えてもらうことが出来ず、1992年にバングラデシュが4年間だけロヒンギャ族を受け入れる声明を出したので、今あるロヒンギャ難民キャンプに暮らすことになったという。

彼の暮らしていたミャンマーから、彼らの家族と一緒に船で川を渡りバングラデシュまで来た。だがその当時は、バングラデシュ政府からの支援や国外からの支援も十分じゃなく、生きるのがすごく難しく、政府からもらった家もボロボロ過ぎたので、はじめ彼は自分で家を建てたという。4年間だけのはずだったが帰れる状況ではなく、今ではすでに27 年もの歳月が経っていた。

政府や国外からお金を貰えるが、その額だけでは到底足りなく、キャンプ内で働いたり、キャンプの外で働く人が大半のようだった。(政府の規定で日雇いしかしてはならないという規定があるらしい)

外出するのにも許可書が必要で、バングラデシュに国籍があるわけでもないので病院に行くことさえもできない。まるで刑務所のようだと言っていた。

そんな彼はもしミャンマーで国籍を持てるならば、ミャンマーに帰りたいという思いを持っていた。

自由に生活がしたい。こんな刑務所の中のような生活はもうしたくないと言った。

世界には、自分のしたいことを制限され、自由に暮らすことが出来ない人達がいた。そのような人達を目の前にしていた、そしてその人達と直に話していた。

すごく自由に行動できる日本に生まれたからこそ、今、世界を旅することが出来ている。世界を旅することができる世界の人口は何人いるだろうか。とても少ないだろう。自分の状況がいかに恵まれているか再認識した。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中